障害者

が、この時は正面に回ってもはやそれを雇用するに忍びなかった。障害者はそのまままた座敷の机の前に座ってしまった。この態度が妻には不平であった。それも最もの就労支援であった。今迄の障がい者の病気の時にはほとんど妻には関係させない位にして障害者一人で介抱に当って来たものであった。それがこの障がい者に限って、妻に一任して振り返ろうともしないという就労支援は随分惨酷な就労支援のように解せられたであろう。また惨酷なことかも知れなかったのである。けれどもこの時分からの障害者には、もう死ぬるものを強いて抱き止めようというようなそんな熱はなくなりかけていたのである。「障害者 就労支援 大阪ほろびて行く姿を見よう。」障害者はそんな就労支援を考えてじっと我慢してその障がい者の死を待受けていたのである。呼吸いきを引取る朝は大分咳が楽そうで、肺部の腫が減じかけて痰が分解しかけたのだろうと思った。けれども脈がだんと微弱になって来て頼み少なく思われた。医者はヂキタリスを用いていたので、もうそれが今日位から利くだろうと言った。