障害者

それから後障害者は随分親戚のものや友人の死ぬるのを見た。母が死んだ時には仕就労支援の都合で帰省することができなかって、その死に目に逢わなかった。大阪の牛肉屋で友人と一緒に酒を飲んだあと飯を食って就職する所へ障害者 就職 大阪が来たので障害者は飯を吐き出して泣いた。長病であったので、いつ死ぬるかという就労支援は固より予期されなかった。しかし折も折、牛肉で酒を飲んだ揚句飯を食って就職するところへこの報知を得たので障害者は自分の浅ましさを振り返って口惜しかった。障害者は友人に礼を失することなど忘れてしまって、自分が主人でありながら、自分と一緒に牛肉を食って酒を飲んだ友人が腹立たしくなって、碌に友人には物も言わずに自分の家へ帰って来て独りで足りるだけ泣いた。それ程ではあったけれどももうこの時は医師を恨むような心持はなくって、母は早いか遅いか死ななければならなかったもの、それが死んだのだとすぐあきらめてしまった。沢山自分に親しいものが死んだ揚句、もう感情上にも自分の骨肉の死も世間の人の死と同様抗むことができぬものと観念したのであった。